2021/12/15

新鎌ヶ谷周辺の ビル建設計画

 ●東洋ハウジング:15階建て木造マンション
<2022.7.末>



<2022.5.24 読売新聞>



<2021.12.15:朝日新聞>


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<2021.10.15頃>

<事業者:東洋ハウジング、 日本一純木造14階+RC1階>


<事業内容:高層棟:店舗・事務所・共同住宅、建築面積268㎡、延床面積2924㎡、
                     木造15階、45.2m 工事予定:R4.1.15-R5.10.31>
<事業内容:低層棟:店舗・駐車場、建築面積922㎡、延床面積1741㎡、
                     木造2階、11.8m>

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<2021.10.15頃>

●東武:14階建てマンション


<事業者:東武鉄道、 新鎌ヶ谷2-12-11他>
<事業内容:共同住宅:建築面積1,352㎡ 延べ床面積12,347㎡
         14階 地上高42.5m 戸数136戸 工事予定:2022.3.1-2023.12.15>

2020/06/09

網戸の移動止め

網戸は夏場の風通しなどに重宝するが、ガラス戸の開閉で隙間ができ、蚊が入ってくる心配がある。
そこで、「網戸の移動止め」を・・

材料は、夏場のすだれ掛けなどに用いる「オーニング」という金具。
100円ショップ(2020.6セリアで入手)で探す。
これをサッシ枠の網戸脇に止める。・・これでガラス戸開閉で、網戸は移動しない。
清掃などではネジを緩めて・・

テグスで網戸に縛っておけば、2階の窓などで、外れて落ちる心配もない。


 

2020/05/05

水田:田下駄の作成

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●2020.5.4
・田下駄作成(3足)  明日の田植えで使えるか???  こう ご期待
   ⇒結果:足を取られ使いにくい

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2018/09/20

脱穀機の電動化改造

●2018/9/20, 

はじめに当時の作業方法で足踏み脱穀機を使ってみましょう。
ベルトを外せば、即 足踏み式です。
稲の量が少なければ人力だけでよかったと思います。
しかし、あれだけの稲の量では、限られた時間内での作業なので動力も致し方なしの気持ちです。
その動力も壊れないで働いてくれるか不安があります。
壊れたら皆さんで足踏み脱穀をやらざるをえません。頑張りましょう。


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●2018.9.18(火)~19(水) 

・先日貰ってきた脱穀機は足踏み式で、踏みながらの脱穀は老作業者たちには重労働であるため、電動化が必須と考えた。
・モーター(小プーリー付属)とVベルトは、廃材を貰ったSさんから追加で貰った。

・モーターの回転数は1440rpm(回/分)=24回/秒 で、脱穀機の必要回転数は5~6回/秒程度と推測したので、1/4程度に回転数を落とす必要があった。
・大直径のプーリーは、かば畑に捨ててあった一輪車の部材を加工。脱穀機本体との接続は、スチール棚の部材などを利用。
・実験したところ、回転が若干早かったので、自転車のチューブ(使用済み)を大プーリーに巻きつけることで減速(1/3.5程度に回転数を落とした)。
・結果として、脱穀機本体ドラムの回転数は、多分 6~7回/秒 程度で回転しているはずで、一応完成とする。・・脱穀の作業をしながら様子を見る。

★ドラムに刺してあるU字型の鉄ピンが、かなりの数劣化しており、脱穀中にかなりの本数が取れてしまう可能性がある。来年に向けさらに補修する必要がある。

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2017/11/25

脱穀器 / 米モミ・茎分離アダプター

脱穀器 / 米モミ・茎分離アダプター



唐箕 / とうみ:もみ・ゴミ分離器 組み立て式

唐箕 / とうみ:もみ・ゴミ分離器 組み立て式





マルチ穴あけ器

マルチ穴あけ器

わら細断器 / 茎細断アダプター 刈払機用

わら細断器 / 茎細断アダプター 刈払機用



わら細断用 安全棒 / わら細断用品 刈払機用

わら細断用 安全棒 / わら細断用品 刈払機用



うね堀器 / 耕運機用 畝たてアダプター

 うね堀器 / 耕運機用 畝たてアダプター












2017/10/18

「かば田んぼ・かば畑」周辺の昔の写真

 市役所で「かまがや環境フェア」第9回のパネル展が行われた。
展示期間は、2017.10/4(水)~18(水)。

千葉銀行窓口の反対側壁面に移動しての展示であった。
「大津川を清流にする会」の展示パネルに、昔の写真が載っていた。

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2017/02/28

大津川(長谷津~ぼろ橋付近)の土地利用・環境変化など ・・航空写真から推測

大津川(長谷津~ぼろ橋付近)の土地利用・環境変化など ・・航空写真から推測
 


1946(s21)

1947(s22)


1961(s36)

1962(s37)

1966(s41)

1970(s45)

1975(s50)

1979(s54)

1984(s59)
 

拡大

1989(h1)

1992(h4)

2008(h20)

2014(h26)

2017(h29)


2015/11/25

橋本遺跡(縄文-早期=1.2万年前~中期=4500年前)


所在地:千葉県鎌ケ谷市粟野橋本691
緯度経度:35.788694, 140.004167
に「橋本遺跡」はしもといせき が 昭和53年度(1978年度)に発掘されたという

縄文(早期+前期+中期)のものだとのこと・・
 早期(約1万2,000 - 7,000年前)
 前期(約      7,000 - 5,500年前)
 中期(約      5,500 - 4,500年前)

遺跡からは、植物を調理する製粉用の石皿が見つかり、植物性食料が増えたらしい。

<早期(約1万2,000 - 7,000年前)>
・約1万3000年前から1万年前は、最後の氷期である晩氷期と呼ばれる。
・列島の多くが落葉広葉樹林と照葉樹林で覆われた。コナラ亜属やブナ属、クリ属など堅果類が繁茂するようになった。
・温暖化による植生の変化は、マンモスやトナカイ、あるいはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物の生息環境を悪化させ、約1万年前までには、日本列島から、これらの大型哺乳動物がほぼ絶滅してしまった。

⇒縄文早期になると定住生活が出現。
⇒早期半ば頃までは住居とゴミ捨て場が設置されるが、住居を持たなかったり、季節によって移動生活を送るなどの半定住段階であると想定している。この段階は縄文時代の約半分の時間に相当する。
⇒縄文早期前半には、関東地方に竪穴住居がもっとも顕著に普及する。
⇒植物質食料調理器具である石皿、磨石、敲石、加熱処理具の土器も大型化、出土個体数も増加する。定住生活には、植物質食料、特に堅果類が食料の中心になっていたと想像されている。
⇒定住的な生活をするようになった縄文時代人は居住する周辺の照葉樹林や落葉樹林を切り開いたことにより、そこにクリやクルミなどの二次林(二次植生)の環境を提供することとなった。定住化によって、縄文人は、集落の周辺に林床植物と呼ばれる、いわゆる下草にも影響を与えた。ワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルなどの縄文人の主要で安定した食料資源となった有用植物が繁茂しやすい二次林的な環境、つまり雑木林という新しい環境を創造したことになる。縄文時代の建築材や燃料材はクリが大半

<前期(約7,000 - 5,500年前)>
⇒次いで早期末から 前期初頭には、定住が確立し集落の周りに貝塚が形成され、大規模な捨て場が形成される。

<中期(約5,500 - 4,500年前)>
⇒中期後半には、東日本では地域色が顕著になるとともに、大規模な集落が出現して遺跡数もピークに達する。



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http://www.isekiwalker.com/iseki/344493/
遺構概要
県文化財地図、包含地。大津川水系。<立地>台地上。<現況>宅地+畑。<保存状況>一部消滅。 
遺物概要
県文化財地図、縄文(早期+前期+中期)-縄文土器(夏島式+子母口式+黒浜式+諸磯a式+諸磯b式+浮島II式+加曽利E式)+打製石斧+石匙+磨石+敲石。 
発掘概要 
鎌ケ谷市送電線所在遺跡調査会
その他概要
県抄報昭和53年度。県文化財地図1997、23-50。 

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鎌ケ谷市の歴史http://homepage2.nifty.com/arakinokara/hgotoh3/kamagaya5/kamagayanorekishi.html

縄文時代の遺跡としては、鎌ケ谷警察署の北側にある
 林跡遺跡が最も古く、草創期の遺跡で隆起線文土器や
 石鏃(矢じり)、尖頭器(槍先)などが出土している。

 早期としては落山、東野、上葉貫台、★橋本遺跡がある。
★粟野保育園の西側にある橋本遺跡では植物を調理する
 製粉用の石皿が見つかり植物性食料が増えたと思われる


 前期の遺跡としては市制記念公園内にある五本松遺跡が
 あり、三軒の竪穴式住居跡が発見されました。炉や柱を
 立てる穴もあり、狩りの為の石器も多く出土されている。
 郷土資料館に展示してある竪穴式住居です。


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ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3


2015/10/08

粟野十字路(鎌ケ谷市)の変化

粟野十字路(県道18号:船取線)は、1965年(昭和40年)頃、直行に整備された。 
・1880年(明治13年)頃は、野馬土手で分断されていたが、1882年頃道(公道)ができた。
・1940年(昭和15年)頃は、宮(名称不明)を通過するクランクルートだった。
・1945年頃、ほぼ現在に近い道路整備されたが、まだ直線ではない。