渡辺崋山の「四州真景図」が描かれたときの、彼の旅について調べてみました。
・1825年(文政8年):渡辺崋山(1793-1841 江戸時代後期の武士、画家) が鎌ヶ谷に宿を取りました。そのときに描いた絵が「釜原」で、「四州真景図」の2巻に行徳などと並んで「釜原」の絵があります。(by net)
・四州真景図巻をGoogleの画像検索で見てください。 1825(文政8)年6月29日(旧暦)~ 下総、常盤両国(鹿島,銚子)を旅行し、そのときの写生を図巻としたものです。
以下に1825(文政8)年6月29日(旧暦)からの旅について記載された情報を、時系列でねらべて見ました。
<1825(文政8)年6月29日(旧暦)は、新暦に変換すると1825(文政8)年8月13日(土曜日)。>
<日の出は4時57分、日没は18時34分です。(by net)>
<真夏に旅したことになります。>
・6/29 午前6時家(江戸・麹町=現在の東京都千代田区の三宅坂付近=の田原藩邸)を出発。
・小網町3丁目 行徳河岸から船賃500文で船を借り切り、新河岸に着く。
・三又から逆井、中川船番所、船堀、新川を経て、行徳へ。(by net)
朝は曇っていたが行徳に来たときは晴れていた。
大坂屋で昼食をとり(三人分で八百文)、スケッチ(常夜灯及び周辺景観)をした。
・その後八幡の葛飾八幡宮をスケッチ(鎌ヶ谷八幡宮をバックにした牧の風景)し、
・鎌ヶ谷の鹿島屋(鎌ヶ谷大仏駅付近)で夕食をとる
(三人にて百四文、但し酒一合二十八文共に)、 (by net)
・当時鎌ヶ谷の宿には船橋屋・江戸屋・鹿島屋・丸屋・銚子屋・柴崎屋の6軒の旅籠屋があった。
・木下街道経由
・白井宿の藤屋八右衛門方(旅籠:国道16号交差点付近)に宿泊した。 (by google-books)
・翌7月朔日(旧暦)の辰の刻(午前8時頃)、「藤屋」を出立。
・崋山の日記に「大森、亀成、手賀沼、手賀島、布佐」などの地名と由緒なども記載 (by net)
<翌7月朔日=翌日の7月ついたち=旧暦で6/29の翌日は新暦では7/1(日曜日)です>
・亀成橋あたりから「さっぱ舟」に乗り、手賀沼遊覧を経て木下河岸の「土橋」下に到着
・問屋 吉岡家七之助 で湯浴み、休憩後、塩せんべい(十六文)を購入し、
「土橋」を渡って茶船に乗る。
この木下茶船は長さ4間(約7mほど)の、中央に屋根がある屋根船で8人乗り。
船の所有者は近在の百姓で、多くは夫婦による農閑稼ぎ。
・木下茶船(夜船)に乗り込んだ崋山一行は、利根川筋の神崎(こうざき)経由で津ノ宮、
香取神宮へと向かった。 (by net)
・下図の南の道を、小網町から木下まで移動したのです。(by net)
・四州真景 (1974年) (覆刻渡辺崋山真景・写生帖集成〈第1輯〉)
は、amazonで[古書]として販売されています。
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