・船橋新京成バスの「平日深夜運行」のバス停である。
(船橋駅北口・・⇒新鎌ヶ谷駅⇒・・五本松小学校⇒このバス停⇒東武分譲地⇒鎌ヶ谷大仏)
★疑問点は、
A:このバス停の名称のとおり、「初富稲荷神社」は近くにあるのか?
∵初富駅付近にある「初富稲荷神社」以外に、もうひとつ神社があるのか?/あったのか?
∵ 初富稲荷神社は初富駅付近にあって、ここからは歩いて10分以上離れているのに、そんな名前を付けるのは変。
∵初富駅付近にある「初富稲荷神社」(鎌ヶ谷市初富本町1-4 =字は、富栄)の石碑に「以前違う場所にあり、移転した」との記述はない。
B:この南にある「稲荷前三差路」、「稲荷西交差点」の名から、神社があったと推測してつけたのか?
C:「稲荷」の名は、なぜこの周辺の土地に付いているのか?
関連する地図は以下である。
https://www.google.co.jp/maps/search/%E9%8E%8C%E3%83%B6%E8%B0%B7%E5%B8%82%E3%80%80/@35.7669599,140.0079317,16z
<小字-区分図> |
C:「稲荷」の名は、なぜこの周辺の土地に付いているのか?
⇒ans:
・右図のように、この付近の字が「稲荷前」である。
・なぜ「稲荷前」という字が付けたかを推測すると・・以下の3つが推測できる。
①初富稲荷神社(鎌ヶ谷市初富本町1-4 =字は、富栄)の前なので。
②近くにある右京塚神社(鎌ケ谷市 右京塚7丁目60番地 )もやはり稲荷神社なので。
③二つの稲荷神社の前/間の場所なので。
B:あの三叉路付近が「字 稲荷前」なので、「稲荷前三差路」と名づけたのではないか。
・その後、船取バイパス道路が作られ、その西側の交差点なので「稲荷西交差点」と名づけたのだろう。
A:あの三差路付近に神社があったとの記録はない。
中野牧の内側(牧場地)なので、江戸時代に両方の稲荷神社すら存在しなかった。
⇒<結論>
・あの三差路付近に、稲荷神社はなかった。
・あのバス停の「初富稲荷神社入口」という名は、歴史的には根拠がなさそう。
・・初富エリアにある、稲荷前という地名から・・「昔、神社があったらしいと」勘違いし・間違って命名したのではないだろうか??
・・「山屋食品・鎌ケ谷工場前」 とか 「南初富郵便局西」 とかが妥当な名称では??
<関連情報>
・初富稲荷神社は、明治2年(1869年)に創建された。明治初期の旧幕府の武士による初富地区の開拓が始まり、ご守護と繁栄を願うため創られた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%AF%8C%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
・右京塚神社は、明治4年(1871年)に創建された。
その付近(右京)に塚があったことから、「字 右京塚」と地名が付けられたらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E4%BA%AC%E5%A1%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
以上
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